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「千と千尋……」は最も多くの日本人が観た映画となり、別のバイヤーの手で輸出された。
一方、「ハリー・ポッター」は次々と続篇が作られている。
現実の世界では「自分たちにつくか、テロリストの側につくか」の黒か自かの選択をアメリカの大統領に迫られ、日本の首相は世界中で不人気な大統領の「よき友人」の役を演じ続けている。
だが、その首相も9・11直後に「テロはこわいね」と感想をもらし、他の首脳たちのように「断固テロと戦う」とすぐには言えなかった日本人である。
イラクへの自衛隊派遣が不評なのも、私たちの普段の思考方法からはどこか無理があるからである。
「そんなことが、この本のテーマと何の関係があるのか」と思う人がいるにちがいない。
ところが大いに関係があるのだということを次章で述べる。
「炭坑のカナリア」たち夜から朝に変わるいつもの時間に世界はふと考え込んで朝日が出遅れた なぜ悲しいニュースばかりTVは言い続ける なぜ悲しい嘘ばかり俺には聞こえる Oh荷物をまとめて旅に出よう Ohもしかしたら君にも会えるね JUMP夜が落ちてくるその前に JUMPもう一度高くーJUMPするよ (二番略) 世界のど真ん中でティンハニーを鳴らして その前を殺人者がパレードしている狂気の顔で 空は歌って踊ってるでも悲しい嘘ばかり俺には聞こえる Ohくたばっちまう前に旅に出よう Ohもしかしたら君にも会えるねJUMP夜が落ちてくるその前にJUMPもう一度JUMP高くするよJUMP夜が落ちてくるその前にJUMPもう一度高くJUMPするよ 全ての秀れた表現者は「炭坑のカナリア」である。
常人には感知できない異変をいち早く嗅ぎつけ、鳴き声を立てて警告する。
奇矯・過激・純真の表現者、忌野清志郎はその最新作のなかに、天地人ともにおかしくなってしまった世界へのしなやかな抗議を籠めるとともに、「旅に出よう」と、そこからファストフードの時代の離脱を呼びかける。
それはかつて「帰れない二人」を共作した僚友、井上陽水の初期の名作「傘がない」を連想させる。
「世界」の大勢を伝え、その流れへの順応を求める道具として「テレビ」がメタファーになっているところも共通している。
だが、そんな天下国家のことより、恋人に会いに行くのに雨が降ってきて傘がないことのほうが問題だという陽水の旧作が、当時の支配的な思潮に足払い″をかける独自であったのに対し、「くたばっちまう前」の脱出を呼びかける清志郎の新作は、より行動を求めている。
それだけ状況は切迫してきたということか。
防水も清志郎も、詞(詩)が書けて、それを歌うことができるから、どちらもできない私のように、こうやってくだくだと理屈を言ったりはしない。
だが、傘がなかったり、旅に出る「個人」の都合を優先させても、天下国家や世の中の「全体」に目を向けていないわけではない。
「殺人者」が大手を振っている世界や「都会では自殺する若者がふえている」(「傘がない」)現実を見ている。
一方では「全体」に「個」を従属させることを拒否しながら、他方では「世の中のことなど知らないよ」とひたすら「個」に没入することにも与しない。
「単一の説」に身を置かない。
9・11以降の一神教・原理主義同士の激突のなかで、「世界化」(グローバリゼーション)という名の「アメリカ化」が進行中の世界だが、当のアメリカでも「カナリア」たちがいないわけではない。
「ボウリング・フォー・コロンパイン」や「華氏911」をものしたマイケル・ムーアはなかでも鳴き声が大きいカナリアだが、同じドキュメンタリーの世界で彼に負けず劣らず鋭い警告の声を発しているのにモーガン・スパーロックという人物がいる。
きっかけは、ニューヨーク市プロンクスに住む二人の肥満症に悩む少女が、自分たちが肥満になったのはハンバーガーが原因だとマクドナルド社を相手取り訴訟を起こしたことだった。
いかにも訴訟社会のアメリカらしい訴えだが、自分の身体を自己管理する責任と広告やマーケティングでファストフードを常用させようとする企業の責任との境界線をどこに引くかは、煙草の先例もあり、論議の対象になってもおかしくない。
このニュースをテレビで見てスパーロックが思い立ったのは、一カ月、一日三食、マクドナルド以外は食べないという「人体実験」をやり、それをドキュメンタリーにするという「最高で最悪のアイデア」だった。
他人にそれをやらせたら、カメラの外で、家に帰ってから他の食物を口にするかもしれないから、自分が実験の「人体」になるしかない。
ファストフードの時代出来上がった映画「スーパーサイズ・ミー」はユーモラスで面白くて、しかも恐ろしい衝撃をともなう作品となり、世界的な大ヒットとなった。
私の三〇年を超えるアメリカ体験″でも異常に肥った人が年を追うごとに目立つようになった。
煙草に対しては過敏、非寛容な社会が肥満に対しては奇妙なほどに放置、寛容なのだが、煙草が原因と見られる死者が年間約五〇万人に対し肥満による死者は約四〇万人とほぼ匹敵するに及んで、「肥満は病気ではない」と言い続けてきた連邦政府もついに「病的肥満」を疾病と認定した(二〇〇四年七月)。
アメリカ人の三〇%を超える人が肥満者であり、これに「過体重」を加えると、成人の六〇%が肥りすぎ、また子どもの三七%は肥満症に悩んでいるという。
もちろん、世界一の肥満大国だが、そのアメリカ人は毎日四人に一人がファストフード・レストランに足を運び、マクドナルドだけでもスペインの総人口より多い人たち(四六〇〇万人)が毎日利用している。
食事の四〇%を外食に頼っている外食大国でもあるのだ。
グローバル化(アメリカ化)の食における表現であるファストフードという「単一の説」を推し進めると、こういうことが起きる。
しかも、この局面でも私たちの国は嬉々とした追随国である。
本国に続いてマクドナルドが最も多くの店を持つのは日本であり、それは林立するファストフードのチェーン店のひとつにすぎない。
そして日本人の四人に一人は肥満レベルに達しており、とくに三〇代から六〇代の男性では三人に一人と、急速に肥満が進んでいる(二〇〇三年、国民健康・栄養調査)。
小中学生たちの肥満化はもっと急速で、過去二〇年に倍増しているという。
「最終的に、この映画の焦点は、企業でも、文化でもなく、個人そのものにあることに気付かされる」「スーパーサイズ〜」をめぐる反響のひとつはそう書いている。
映画のきっかけとなった二人の少女の訴えは裁判所では棄却され、この種の訴訟を禁止する、通称チーズバーガー法案″が米下院で可決された。
ブッシュ政権と食品業界あげての後押しによるものだった。
この業界は強力な議会ロビー活動で知られる圧力団体のひとつであり、テレビCMの大手スポンサーでもある。
加えて「肉付きがよいこと」(肥満)が必ずしも悪徳とは見なされてこなかった社会通念も手伝って、煙草産業のような目に遭ファストフードの時代わずに済んできた。
たしかに、「食」、その結果としての肥満は、すぐれて「個人」の問題である。
自分の身体に、自分の選択の結果が顕れてくるのだから、そのことがわかりやすい。
しかし、「食」のようにはっきりしない、他の多くの問題も、最後は「個人」にかかわってくることでは同じのはずである。

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